ファッションの「おかし」さ!

■□□ 京橋松蔵 □□■

 昨年*1)は日本列島の異常気象のせいだろうか、よく雨が降った。降雨の日数の多さだけではなく、降水量の多さもしかり、降る勢いも激しいし、また各地に被害をもたらすことも多かった。しかし降った雨は飲み水になり、家庭で使う水にもなる。雨は甚大な被害をもたらす反面、また恩恵をももたらせている。「おかしい」ことには、嬉しい雨と、憎い雨とが同居している・・。

(イメージ写真)

「おかしい」二面性

 ファッションにも「おかしい」二面性がある。店頭に並んでいる、よく知っている服の見慣れたデザインの服には「おかしい」と感じないが、立ち止まって「なぜ」そうなのかと考えて見ると、「おかしさ」に気づく。笑いを誘う「おかしさ」と云う意味ではないが、例えばショーウインドウの、ネクタイをしめたスーツ姿のマネキンには、ヒートアイランドの都会でその合理性や整合性とは何だろうかと考えてしまう。

 また盗撮の舞台?となる階段やエスカレータを昇る時、ショーツが見えるのをバッグなどで隠してでもミニスカートをはく女性の心理とは・・? 犯罪を誘発するファッション?オシャレのあり方が「おかしい」のか着る人の感覚が「おかしい」のか?さらには男性の服と女性の服の打ち合わせ方の違いなどもそうだ。同じ服種の、同じデザインの服であっても、ブームのスタート段階と、アウト・オブ・ファッション(流行遅れ)になった時とでは、「おかしく」感じる内容が変わってくる。例えば一時期、〈ガングロ〉や〈ヤマンバ〉が登場した、最盛期と今とでは感じる「おかしさ」は違う。破れたジーンズ、ズリ落ちたダブダブのズボン、ショーツをのぞかせるローライズのパンツや茶髪などをもう気にする人はいない。

「それ~て、オカシクナイ?」

 この姿が少し前では当たり前だったが、その当時そうでない女性は時代遅れで「それ~て、オカシクナイ?」と言われたようだ。また真面目なスーツ姿を「ドブネズミ」とあざ笑う人たちもいたが、価値観や生き方が違う人からみれば、自分は他の人と違う生き方をしていることを強調しているだけなのだ。ワン・ブランドで、上から下まで揃えて着る人に対する「おかしさ」とも似ている。でも、それを正しい服装として着ている人からすれば「着ていない奴」は、センスがなくて「おかしな」服装をしていると思える。しかしオシャレとは、本来、化粧や服装など身なりに気を配る事とあるが、人の気を引くためにオシャレをするとか。仕事とのかかわりにおいてとか、同性や異性に「センスがあるね」と言わせたいからオシャレする。どちらにしても他人を気にしたファッションである。そうした目的ではなく、〈私だけの楽しみ〉としてオシャレする、というのもある。

(イメージ写真)

「おかしさ」の心理を追求

 ともかくオシャレすると楽しくなる。「気持ちがいいから」と云った軽~ぃノリで自分のために真剣にオシャレする人もいる。「オシャレしないと自分ではないような気がする」「オシャレしていると安心する」と言う人もいる。これが募って自分自身に自信が持てないからなのか、人気ブランドで身を固め、話題のオシャレや流行りのオシャレをする。

 「ボロは着てても心は錦~♪」とはならないのが、ファッションの「おかしさ」である。正直にいうと、「おかしさ」のその中の一人に、筆者もいる。オシャレとはなんだろう考えてしまう。ファッションの「おかしさ」の心理を追求すれば次の一手が見えてくるのではないだろうか。

(Web版注記) *1)2014年

【再掲:フリーライター 京橋松蔵、ニット・ファイル通信 2015.1掲載】