占領下初期のメリヤス産業

 □□■ 戦後70年

 2015年日本のメリヤス産業は約150年(*Web版注記:2015.7 ニット・ファイル通信 編集部記)を迎えるが、特に戦後の発展はめざましいものがあったが、今日のわが国の業界は過去のように年々拡大発展と違った方向に進んでいて、内外の環境はまことに厳しいものがあり、ここは一度、国際競争力を学び、日本独特の気配りや伝統や日本の古いしきたりや方法などを学び、例えば「お・も・い・や・り」そして伝統的精神を未来への手がかりとしてはいかが?

 戦艦武蔵がフィリピンの海底で見つかったと今年の3月(Web版注2015年)に大きなニュースになった。今年でちょうど戦後70年になる年に発見されたことにドラマを感じる。

 以下、「日本メリヤス産業史」センイ・ジヤァナル社 1972年4月1日発行より転載する。

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終戦の混乱の中(昭和 20 年~ 22 年)から統制機構の変貌と改変

 1945年(昭和20年)8月14日、のポツダム宣言受諾の日、国民生活はどうであったか。都市の空爆や強制疎開で多くの人々が家と財産を失っていた。

 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の基本的な経済管理政策は8月29日にマッカーサー元帥に通達されていた。これは米国国務省と陸海軍賞とで作られたもので、9月6日トルーマン大統領の承認を得て、正式にマッカーサーに送られ、日本において発表されたのは9月23日で「初期の日方針」といわれたものである。

綿花の輸入

 10月に入ると軍需用綿花の民需用転用許可を指令し、9日には「必需物資の輸入に関する覚書」が出されて綿花の輸入が明らかになり、綿紡績業界は希望に満ちた計画で、活発な活動を開始したのである。繊維統制会内部の各部では、それぞれの思惑と見通しによって復興対策が建てられたが、メリヤス部ではそのころすでに対策を決定して商工省を通じて申請の準備を整えていた。

メリヤス工業者復興対策

 そのときのメリヤス工業者復興対策の要領は概ね次のようであった。

①戦災により設備を喪失した工業者(戦災工業者)の設備の復旧は、罹災前における繊維登録台数の限度内において、これをなさしめること。②戦災工業者が設備を新設せんとする場合は、所属組合の承認をうくること。③所属組合は前項の承認をなす場合はあらかじめ、繊維統制会の指示する組合復旧計画にもとづき、これをなすこと。

④繊維統制会は、国民厚生金庫また産業設備の保有にかかるメリヤス機を戦災工業者に優先的に譲受けしむるよう斡旋をなすこと。⑤戦災工業者がメリヤス機の発注をなさんとする場合は、繊維統制会の発注承認をうくること。⑥繊維統制会は、必要ある場合は前項の承認にさいし、設備改善委員会の決定にもとづき、メリヤス機種別、規格、発注先などに関し指示をなすこと。

⑦戦災工業者の設備の復旧は昭和20年12月末日までに当該所属組合に申告をなさしめ、その設置期間は、昭和22年10月30日までとすること。⑧戦災工業者設備の復旧権の譲渡は、これを認めざること。ただし既存のメリヤス工業者に対する譲渡は、これを認むること(以下略)

新増設は原料にみあうようにという、部門間産業の均等政策

 戦時統制の撤廃に関連してGHQは「繊維工業設備の新設、増設に関する件」を発表して、新増設は原料にみあうようにという、部門間産業の均等政策を打ち出しており、発表されるにおよんで、ここに「国家総動員法」と「戦時緊急措置法」および「輸出入品等臨時措置法」など、戦時統制の基本法を年内に廃止することを予定し、これらに代わって「臨時物資需給調整法(仮称)」を公布するため、統制会、統制会社の改変が問題の中心となって策定されるようになった。

戦後の繊維統計の端初

 このほかにも8月にさかのぼってGHQは、生産報告を提出するように命令しており、これがその後の月々のESS月報として毎月生産者が統計資料のために報告した。戦後の繊維統計の端初となったし12月20日には予定の通り「国家総動員法」と「戦時緊急措置法」が廃止され、21日には「輸出入品等臨時措置法」が廃止されたが、その廃止法律がその後6ヶ月間は効力を持つことに定められたので、前者は21年9月30日まで、後者は21年7月15日まで、それぞれ有効となった。

 そしてこの廃止を決めた12月20日に日本繊維協会を創立して、事実上、繊維統制会の統制事業を継続処理し、統制会は以降法律の有効期間内に解散手続をとることになった。もちろんメリヤス部は新団体にそのまま所属したのである。

日本メリヤス工業会の設立

 工業会はやがて出揃う全国工業協同組合の総括機関で、それら組合の設立後に各組合代表によって発起人会結成するのが順当の進め方であるが、繊協解散後直ちに業務を行ないうるためには、時間的な余裕もなく、繊維局の責任おいて、主としてメリヤス部委員会をあげてその発起人とし、早急に工業会設立に進ませることになったもので、このときの発起人は、小林雅一、今村長太郎、田中脩、外海鋼吉、村上音治、浦山一哉、山田慶造、山野鶴視、後藤宗平、樋口吉太郎、森谷清春、柴田亀蔵、尾崎武雄、柴田実の諸氏であった。

 メリヤス部委員長小林雅一氏が発起人総代となりメリヤス部の頭脳と誠意をあつめ、繊維局その他関係係官、官庁との連絡も密に、創立への準備は周到に整えられた。3月4日発起人会のおいて創立準備は一切完了し、繊協解散に先の3日、3月25日に創立総会を開催することになった。

 その日は総司令部経済科学局繊維部からドロシー・エドガース繊維製品課長の臨席があり、繊維部長ヘンリー・S・テート中佐のメッセージが伝えられ、さらに課長の挨拶がり異色の総会となったことである。

日本メリヤス工業会創立総会

日時場所 昭和22年3月25日 2時、東京目黒雅敘園

(出席者)工業会を構成する団体 45 、メリヤス工業協同組合40組合代表(本人出席 35 )小林総代他発起人 12 名。(臨席)総司令部経済科学局繊維部ドロシー・エドガース繊維製品課長、繊維局内藤技官、同吉野技官

(次 第)

一・開会の挨拶ならびに創立経過報告(小林発起人総代)

二・議長選任(満場一致小林総代を選任)

三・議事  1、定款承認のこと(原案承認) 2、部会運用要網承認のこと(原案承認) 3、役員選任のこと(議長指名の詮衡委員により別記の如く選任決定) 4、初年度における事業計画決定のことのこと(原案通り決定) 5、初年度における収支予算ならびに経費の賦課微収方法決定のこと(原案中一部理事会に付議することとして決定) 6、役員の給与決定のこと(原案通り決定) 7、取引銀行決定のこと(理事会一任) 8、日本繊維連合会加入承認のこと(承認)9、定款中一部抹消又は字句修正の承認のこと(会長一任) 10 、決議録署名者二人決定のこと(議長一任となり、議長より樋口吉太郎、村上音治両氏指名)

四. 役員挨拶 五. 閉会(3時 40 分)

(出所:センイ・ジヤァナル昭和47年4月1日発行 「日本メリヤス産業史」)

【Web版再掲】「交差点」第7回 占領下初期のメリヤス産業、ニット・ファイル通信 Vol16,2015.7(ニット・ファイル社発行(出典:「日本メリヤス産業史」センイ・ジヤァナル社 1972.4.1発行)。なお、文章の一部を修正調整しています。