山形のニット、メリヤス産地 :1960年

「メリヤス業界展望」、メリヤスの手帳1960年版(センイ・ジヤァナル社発行)より

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■■□ 山形は粗ゲージ中心の産地

 山形県の企業は九割強が横編メリヤスで、他に作手業者、靴下業者があるが、その規模は極めて小さい。産地の発足は戦後で、現在のメーカーの中心的なメンバーは、ほとんど生糸業者である関係上、繊維については、かなりの知識をもって出発した。

山形市、山田町、大石田町 (1950年代)

手紡糸時代に培われた「手による製品」

 メリヤスに転業した当時は自足できる羊毛(生産は全国三位)を手紡糸にして横編製品を製造したのが最初で、それ以後は紡毛糸を扱い、順次梳毛糸を使用するようになった。このような経過を辿っているので、手紡糸時代に培われた「手による製品」は同地の最も得意するところで、製品のなかにも、この種のものが一貫して流れている点は見逃すことはできない。

 最初は東北、北海道を対象にした地場売りであったが、昭和二十六年頃から内地問屋との取引を開始した。業者の数は百十四工場で、従業員数は九百五十八名、設備機は横機千七百十七台裁縫機三百七十六台で、機種は粗ゲージが多く五~七本ものが中心となっている。多く五~七本ものが中心となっている。

寒河江

寒河江市 (1950年代)

下請けになって転廃業

 地場売りメーカーは先細り傾向にあると言うのは最近のセーターは、流行のテンポが早くなっているのと品種が多様化のため、小規模の生産ではこの動きに伴わず、そのうえ原毛交換の委託加工になっているので採算が悪くなったことなどが、相重なっているのがその原因である。このためこれらのメーカーは輸出および内地メーカーの下請けになって、転廃業をよぎなくさせられている。一部の資力のあるメーカーは、昨秋から内地問屋に販売ルートをつけて、転換を図っているのが目立つが、多くは下請的な存在で進んでいくと思われる。

メリヤスへの転向

 また、山辺地区の綿機業者は、企業の不振からメリヤスへの転向を考えている所が十余社あるが、いずれも相当資力のあるメーカーだけに、将来の産地の一つの力になるとみられている。メリヤスを県内の重要産業にすべく、種々のプランを練っているがメリヤスを魅力ある業種にするのを第一のモットーにしている。

メリヤスセンター新設やデザイン室の設置

 その手がかりとして、山辺町に、メリヤスセンターを設け、業界の融和と合わせて技術研究の場、さらに輸出検査場として発展を期している。また優秀な人員を獲得するために県内企業ではハイベースといわれる百八十円(日給)制を採用し集団求人を推進しているのも注目に値する。企業全体の体質改善の第一歩として新しい工場を建設し将来にみた布石として興味深いものがある。製品については量産でいくよりもトップクラスの製品を多品種少量システムで生み出すのを目標に各メーカーがデザイン室の設置を積極的に推進しているのも他に例を見ない。

【原典】「メリヤス業界展望」センイ・ジヤァナル社発行

【再掲】1950年代の各産地山形編(2013)「ニット・ファイル通信Vol.7 」ニット・ファイル社