東京のニット・メリヤス産地 ’50〈前編〉

1950年代のメリヤス産地は・・・?

メリヤス業界展望(1960年版メリヤスの手帳)をのぞいてみましょう。今回から3回にわけて東京編です。

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■ ■□ 大阪と並ぶメリヤスの代表産地 、東京・前編 □■■

原料、問屋、銀行、業者がそろう

墨田区(1)

 東京都のメリヤス生産業界は、関東大震災、更に戦災など、他地域の業界においてみられなかった打撃を受けながらも明治以来、一貫として大阪とともに業界の主導的な地位を保ってきている。昭和十三年全国生産額の二八・二%を生産した当時に比べると、戦後は大阪の生産状況が横バイしているのに反して著しい増加をみせているのが特徴的である。品種別にみると、丸編メリヤスは全国生産の三五%強を占めるに到っており、セーター、手袋などの横編メリヤスは地方生産の進出にも拘らず、全国のなかで三〇%を生産している。戦前と大きな変化なくしかも生産の遅れがみられるものは丸編生地の生産のみで、これを除くと東京のメリヤス生産は戦前の水準をはるかに突破したといえよう。この原因は戦災からの復旧が早かったことにもよるが依然として主要な産地であることは、巨大な都市としての東京の結びつきを除いては考えられない。生産における優位性は、

墨田区(2)

① 原料の購入が容易であること。

② 取引機関としての問屋、銀行が発達していること。

③ 各種工程(染色、縫製など)の業者が豊富に存在すること。

などが挙げられよう。業者の分布状況は、全般的には墨田区、江東区に集結しており、特に丸編業界に顕著で最近は江東方面に新しい業者が多く生れつつある。横編業界は墨田区を主体に、豊島区の一群と、目黒区周辺のグループに分けられ豊島、目黒地区は、内地生産のみでなく輸出の下請生産にかなりのスペースを割いている。墨田区にメリヤス企業が集中したのは、都内の中小企業の一般的な移動傾向と軌を一にしており、設備拡張のための低廉な土地、低賃金の労働者を求めて、集結したためで横網は低廉な主婦労働力或いは内職的な低賃金に依存するため墨田区のみでなく、山之手地区にも多く発生したと推定される。

墨田区(3)

《丸編》

全国生産の35%越す

 終戦直後は疎開機械を急速に持ち帰り生産に着手したが当時は四十~五十台が稼動していた。一般的に操業したのは二十一年末で、もっぱらヤミ生地などの購入、割当決定後(二十二年)は、計画生産の出目などで作られた商品によってメーカーは資本蓄積を図った。それが十年後の昭和三十一年には組合員数六百名、機械台数六千八十二台、百八十億円という年商額に達した。更に三十五年の調査で、機械台数一万台に達し、縫製機も一万台と、全国の四分の一を占め、組合員は六百五十名、年商額は実に二百五十億円に達した。機種別では戦前は六〇%が吊機であったのが戦後は六〇%が両面フライス機、吊機は四〇%、その内五割は休止の状況で、替って台丸機が積極的に利用されている。各メーカーの平均所有台数は十八~九台で、二十台以下は二百工場、戦前は二台が上位所有台数であったのと比較するとメーカーの規模は非常に大きくなったものである。二十台クラスのメーカーの年商額は三千万~三千五百万円が基準になっている。

墨田区(4)

生産形態・・・潜在的な生産力

中央区(1)

 東京は戦前から一貫メーカーが多く、規模の大なり小なりはあるが現在のメーカーの七割強は一貫メーカーである。しかも下請生産に依存することが少なく、殆んど自家工場で生産するところが多く、下請の発注は生産の僅か二割程度であるまた関西のメーカーと違って、マスプロに向く生産形態のメーカーは僅少であるしかしその反面、生地織業者の力が弱く、東京業界のウイークポイントになっている。このため毎月平均十万貫の生地が主として和歌山地区から入っている。生地織業者もそれぞれ自己の地位の向上に努めているが、マスプロでローコストの関西生地には、太刀打ちできず殆んど発展の跡がみられない。これ以外に二月から六月にかけて足利を中心にトリコットアクト・ウェア用の各種経編生地が、月平均四万買程度入ってきているのと、トリコット下着用生地が相当量入り縫製され、販売されている。この結果縫製設備の導入が急速に高まってはいるが、それでもなお不足気味で、既存設備で消化する以外の潜在的な生産力は相当の量になるものと推測される。既存のメーカーの縫製設備の拡充と相侯って、縫製専業者を多く輩出している。

中央区(2)

生産品目の構成・・・70%が肌着だが変化が

 生産量の七〇%が肌衣でこの内訳は紳士肌衣五〇%、婦人、子供がそれぞれ二五%の比率である。最近は婦人肌衣がむしろ漸減気味で、メーカーによっては紳士肌衣または子供肌衣の比重を重くしている向きが少なくないようだ。婦人肌衣は夏はぐっと減産になるので、トリコットを縫製しているメーカーもある。残りの三〇%はアウトウエ

中央区(3)

ア生産で、当初はポロシャツのみであったが、年間を通じてアウトウェア生産に乗り出しているところも増加し、業界に占める位置は増大するとともに両者の専業化が判っきりしてきた。これらは大手のメーカー筋に集中している。一部では自家工場の丸編生地を編織し、これを横編業者に供給するメーカーも出現している。

千代田区(1)

千代田区(2)

新鋭機の導入、設備の変化機械の新増設禁止は、反面では企業の合理化を促進している。これは生産力のアップを図らねばならないからである。このため昨年来から、外国の高級肌衣の導入意欲が高まっている。現存、東京だけで三十台近く設置されているが今年末から来春にかけては五十台余に達するものと見込まれている。これは主として婦人用の柄編機で、スティべ1、ウイルトテロットなどである。

江東区

 婦人肌衣がトリコット下着に若干ながら侵蝕されている実状からみて、丸編メーカーの巻き返し意識が設置を積極的なものにさせている。新合繊の登場も他方で影響を与えており、「新しい索引」に、更に魅力を生みだすために編地に変化を与えている傾向も見落せない点である。一部では丸編機(ジャカード系)を導入して、外衣の分野への開拓を意図しているメーカーのあることはマークされて良いだろう。国産機でも、編立機の更新は活発で、終戦直後スムース職の計数が八百本であったが、現在では千三百本中心になり、更に千五百本でないと需要についていかなくなってきている。

台東区

文京区

業界の新しい動き・・・地方進出も

 業界の再編成を急がせている要因に、合繊糸の進出がある。

 従来まで東京の丸編メーカーは、伝統的に紡績系列に入るのを忌避する向きが強かったが、時代の波は大きくこの姿勢の修正を迫っており、むしろ積極的に系列入るとともに、自己生産のかなりのスペースを、合繊に切り換えている。これは主として大手筋メーカーにみられる動きではあるが、今後の予想としては大手メーカーは合繊を、中小メーカーは綿製品と、生産が分化されていく傾向がある。このため肌衣メーカーと外衣メーカーの分化現象も起っている。

 外衣生産の場合にはある程度の資力を必要とするので、手掛けるとしても上位クラスのメーカーにのみ集中している。

 一方、下位クラスのメーカーの生産分野は従来の綿肌衣の狭い範囲に限定されてきているのは否めない。これと平行して自己資本の不足と相侯って、問屋に流通部門の危険を負担してもらい、強力な問屋の系列に入るところも増え、下請メーカーの再編成が行なわれている事実も見落せない。

 トリコットの下着業界への急速な進出は丸編業界へショックを与えているがこの流れに対処して両者の平和的な共存を図るべく、縫製部門を増強して、加工を行うメーカーと縫製専業への転身を行うメーカーがでており、数からみると、後者のグループが多く小規模なメーカーではあるが、業界の一つの層になり始めている。

 各工場の地方進出も、このところ目立ってきている。その原因は都内の土地の狭隘によるものでこれはメーカーの考え方の中に「計画および大量生産によるコスト引き下げ」という意識が強まったためである。このプランは今の工場設計では不可能なので、体質改善の第一歩は、これから着手したい意向のようだ。全面的な移動が困難なメーカーは、縫製部門を移すだけに止め、分断的な工場設計を考えている。

販  路・・・9割が東京の問屋へ 

 九割五分までが問屋売りで、地元売りは殆んど皆無の状態である。販路は九割が東京で、大阪は一割となっており、東京問屋納入が圧倒的である。大阪への取引は大部分が戦後から始まったもので製品の中心はポロシャツとなっている。

問屋経由の地区別出荷量は次の通り。

東京(八九・五%) 大阪(七・〇%)愛知(一・七%)北海道(0・四%)栃木、埼玉(〇・三%)茨城、千葉(〇・二%)神奈川、福島、山形(各〇・一%)となっている。生産品目は肌衣の場合は紳士物四〇%、婦人物三〇%、子供物三〇%で肌衣とポロを含めた外衣との比率は八対二となっている。

(東京・中編へ続く)

【Web版再掲】ニット・ファイル通信 Vol12,2014 (原報)「メリヤス業界展望」センイ・ジヤァナル社1960年版メリヤスの手帳、地図図録は1958年センイ・ジヤァナル発行「メリヤスの地図」より抜粋しています。

(Web版注記)見出しは一部Web版再掲にあたり修正、追加しています。