群馬県のニット、メリヤス産地 ’50s

1950年代のメリヤス産地はどんな状況だったのだろうか?1960年版「メリヤスの手帳」を覗いてみましょう。

■■□ 繊維は群馬県の主要産業 □■■

 県内諸産業のなかでも繊維産業は、関東近県と同じく、主要産業の一つである。その中心は伊勢崎、桐生、館林を主力とした織物産業だが、メリヤス産業もまたかなりの比重を持っている。特に一昨年織物業界を襲った不況の嵐によってメリヤス業へ転換する織物業者の続出をみて以来、一層重要視されるようになっている。

 現在、県内にはセーター、短靴下、編手袋、生地などの生産業者約二百が存在し四十六万七千打の年間生産をあげているこれを業種別に分類すると次のようになる。

〓硫毛重点の生産

【横 編】

群馬の大横は太田の大横

群馬・太田地区

 昭和三十五年二月に設立された群馬県横編メリヤス工業組合の加入業者は百七十。極く小さな家内業者を除いてほとんど全横編業者が参加しているわけで、このうち百十七社が大横業者、小横業者は五十三社である大横機の設備台数は千五百四十二台であるがこの大部分は太田地区に存在する百十社の業者の設備であり、群馬の大横は太田の大横といっても過言ではない。

 戦後転換産業として発展してきた太田地区の横編業界は出発当初からかなりの期間は安紡毛による茶羽織、セーターなどの生産を行なってきたが、メリヤス産地としての地盤が固まるにつれ、安紡毛から杭毛への脱皮が課題となった。この課題は著次実現方向を辿り、三十三年の生産高をみても紡毛製品六万三千九百六十四打(一億八千八百三十七万八千円)に対して杭毛製品八万千六百十七打(八億二千四百三十四万三千円)とはっきり杭毛優先傾向を示している。

 これは内需向だけの数字であり、輸出向二万三千六百五十打(四千七百三十万円)が全部杭毛製品であることを加えると、杭毛の占める比重は一段と重くなる。さらに三十四年に入るとこの差はますます開き、紡毛製品四万四千三百三十四打(一億三千二百六十万二千円)に対して杭毛製品十万四千三百六十一打(十億六千五百四十三万八千円)と倍以上の開きをみせ、これに輸出向杭毛製品三万五千七百八十八打(八千三百七十六万九千円)を加えると完全に杭毛中心方針が実現されたということが出来るわけだ。

横編セーターの90%が婦人物

 群馬の横編セーター、すなわち太田の横編セーター業界はこの素材革命を実現して、製品向上と販路拡張に遇進している総生産高は三十四年度には二十一万百七十四打(十四億六千二百八十三万九千円)に達し、前年の十九万八十六打(十二億六千七百九十一万一千円)を数量において一〇%、金額において一五%増加しており、特に輸出向の伸長は著しく三万五千七百八十八打(八千三百七十六万九千円)と前年数量の五〇%(金額では七七%)増と躍進した。製品の特長としてあげられることは九〇%が婦人セーターであることで、紳士、子供セーターの占める率は極めて少ない。

 また販路としては、当初は東京中心であったが、拡張をはかるため関西進出を意図し、最近では大阪、名古屋六〇%、東京四〇%の線にこぎつけた。ここで一応の目的をはたしたとして、流行の源泉地である東京に再び重点を戻す方向をとり、現在では東京六〇%、大阪、名古屋四〇%と逆比率をみせている。

小横-編手袋業界は地域的には分散

 次に小横-編手袋業界をみると、五十三社の全部が輸出編手袋の生産を行なっているが、その規模は大小まちまちで高義井上商店、酒井メリヤス、旭一、川上、東京丸三組など大手筋の下請工場から、さらにその下請にいたるまで混然としている。

このうち二十五社が群馬県輸出メリヤス協同組合を組織しており年間四万九千六百八十三打の生産量を三十四年度にあげている。

 地域的には寄居、伊勢崎、前橋、高崎などに分散しており、大横の場合のような集中的特長は持っていない。

群馬・高崎市

〓高崎が代表産地 

【靴 下】

群馬県靴下工業組合に加入している二十五社の生産者が年間三十二万打の生産量をあげているこの主体は高崎に存在する二十二社にあり、大横の太田と同様、群馬の靴下は高崎の靴下によって代表されているわけである。

県内三百九十台の設備台数のうち二百十九台は高崎地区にあり、県工組に先がけて高崎靴下協同組合の存在は全国に知られている。

ここの特長は仕上染色の共同作業場を持ち、組合員の生産製品の染色仕上加工を一手で行っていることである。共同作業場には近代的な染色仕上設備が市、県の協力のもとに設備されており、一時期にみられた滞荷もその後の設備改善によって一掃された。

さらに最近では市内に専門仕上業者の育成につとめすでに二社が仕上業を行うにいたっており、編立から仕上までを自産地内ですべて行える地区として発展の道を歩んでいる。製品の特長はパイル、足袋靴下、無地などにあり、県内をはじめ、行田、東京、東北などに販路を持っているがそのうち七割までが県内販売である。

販売システムの点では地域問屋の弱体から、直接、小売店に出している業者が少くなかったが最近ではかなり是正されてきている。

三十五年度に入って著しい特長をあらわしてきたのは無地靴下で、これまで奈良長野方面の製品に価格の面で圧倒され陽の目をみないでいた無地靴下が価格的にも他地区より安く出来るとの自信を持ったことから活発化し、生産が需要に追いつかないほどの好調ぶりをみせてきている。靴下足袋、パイルの高崎に、無地の高崎があらたなキャッチフレーズとして加わったことで前途は一層明るくなっている。

〓業者数次第に増加

群馬・桐生市

【経 編】

不況の波が県内経編分布図を大きくぬりかえる

 東部経編工業組合加入者は宮下メリヤス(高崎)、桐生編織(桐生)、上毛撚糸(前橋)、豊栄(伊勢崎)、の四社でトリコット機十三台(うちカールマイヤー六台)、ラツシェル機八台(うちカールマイヤー四台)の設備を持っている。この四社が県内経編メーカーの代表的存在であるが三十三年に織物産地を襲った不況の波が県内経編分布図を大きくぬりかえようとしている。

織物産地から経編へ転換

 すなわち伊勢崎、館林、桐生の織物産地から経編へ転換する業者が昨年続出したことがその原因である。まず伊勢崎の場合はかって千五百軒を数えた織物業者が現在では二百軒程度と激減し、将来を案ずる業者約百軒が他産業への転換を行った。このうち二十一軒がメリヤス業へ転換したがその内容は経編十四、横編四、靴下三と断然経編が主力をなしている。

 この経編転向業者のほとんどがラツシェルの生地メーカーの道を選び、伊勢崎市内の九軒三~一台市外の五軒が五~二台のラツシェル機を各々設備している。このうち市外の織間編織の場合はすでに五年前から操業しており規模において他に一歩先んじているがあとの業者は全くの新分野とあってレースへ進むかメリヤス生地へ進むかで迷いまた販路の面でも従来の織物関係ルート以外の拡大をはからねばならぬという難関にぶつかり、思うような進展をみせず特に市内の転向業者の場合は規模も小さいところから他産地の下請化してきている。

 伊勢崎の新ラツシェル産地の前途は決して楽観を許さないが、販路拡張の点で適切な対策が打出されれば新たな飛躍の道が見出せよう。次に桐生地区の場合はラツシェル・レースの生産者は旧来から存在するが、経編生地生産に織物から転換した業者としては金友商店が代表的で同社の場合は第二工場の形でトリコット工場を新設しFNF二台を導入して旭化成のレーヨンハーフのチョップ生産を行っているが同時に縫製部門を設置してスリップ・パンティの製造を一貫作業で実施しておりその成果いかんが他織物業者に刺激を与えることにもなるところから大いに注目されている。

 また館林地区の場合は、十一業者が織物からメリヤスへ転向しており、うち経編転換は四軒である。まだ本格的取組みという段階にはいたっていないが近くに経編の大産地足利があり、足利トリコット工組に加入しているマルエス編機が館林市内に工場をもっていることも含めて大いに刺激されていることは事実であり、明日の新産地として期待されている。

〓茶羽織生地の生産

【丸 編】

 丸編機の設備は太田地区に五十五台あり、茶羽織、セーターの生地生産を行なっているが、最近、織物からの転向で注目されている館林地区には八社九台の丸編ダブル・ジャガード機が設置され、丸ジャガード生地の生産としての特色を持ちはじめたことが話題の的となっている。

【Web版再掲】ニット・ファイル通信 Vol10,2014、(初出)「メリヤス業界展望」センイ・ジヤァナル社1960年版メリヤスの手帳